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![]() 第4回 団塊2世代を襲った大量不合格の荒波 7月号第1幕:志願者64万9710人、不合格者24万8700人「戦後の大学受験・進学」 を総括するに当たって検証したい一つに、例えば志願者数と不合格者数(または合格者数)の相関性があります。全体像については、本誌4月号掲載の『大学受験・進学60年史プロフィール』によってその大略が理解できますが、ここでは特に志願者ピーク時の第1次(昭和41年度)ならびに第2次(平成4年度)団塊世代の実態を中心に検証してみました。戦後ベビーブームによる第1次団塊世代は今、その多くが社会の現役第一線から身を退き始めています。この世代が大学進学を目指した昭和41年度入試は、進学大衆化の幕開けとなる「マス期」 に位置付けられます。そしてその受験対策は、受験生急増期にあって新たな暗中模索や葛藤の連鎖そのものでありました。 |
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親子で楽しむ学び方代田恭之 監修 |
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例えば<表1>のデータに見るように、昭和41年度の大学・短大志願者数は前年度の49万3408人から64万9710人と約15万6000人の激増、入学者数も33万0480人から40万1010人と約7万人の増加でした。一方熾烈な競争による不合格者数も、前年の16万2928人から24万8700人と約8万6000人もの増加となりました。彼らにとっては不合格者20万人から逃れる試練への旅立ちでもありましたが、この年の不合格者数は志願者三人に一人強という苛酷なものでした。この不合格30%時代は昭和45年度まで続き、
その後46度から57年度までは20%後半台で推移しています。![]() |
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| ちなみに、昭和40年度vs.昭和50年度の志願率変化は14.0ポイント(33.3%→47.3%)のアップ、進学率では21.4ポイント(17.0%→38.4%)の大幅アップとなっています。 このような状況下、特に看過できないのは昭和40年度から44年度の5年間で実に118万8601人もの進学希望者が、不運にも不合格の烙印を押され、苦しい経済的負担を強いられながら再挑戦を余儀なくされたことです。この国家損失ともいえる異常事態に対し、残念ながら効果的解消策は当時ほとんど機能不全となっていました。 |
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第2幕:志願者121万4876人、不合格者41万8596人第2次団塊世代のピークは平成4年度で、<表1>に見るように志願者数は史上最多の121万4876人、入学者数は79万6280人、 加えて不合格者数は実に40万人の大台に乗って41万8596人となりました。この世代は現在、社会の最前線で活躍する35歳前後のフロントランナーたちです。ただこの表で注意しておきたいのは、史上最多の不合格者数43万3026人が志願者数ピークの2年前、つまり平成2年度に記録されている点です。やや奇異に感じられますが、その原因の一端は受験人口ピーク前の対応に不備があった点です。つまりピークとなる平成4年度中心の重点的臨時定員増あるいは大学・学部の新増設計画に重点が置かれ、隣接年度との乖離が生じた結果と言わざるを得ません。それにしても平成2年度から6年度までの5年間で、不合格者数は203万6220人にも及んでいます。この常軌を逸した不合格者派生問題がほとんど放置されていたことは見逃せません。 |
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| 文部省刊行の『学制百二十年史』によれば、「浪人解消のため、大学入学志願者急増期の合格率は60%を維持することをつねに基本目標とした」
とする記述が見られますが、これでは大量不合格者を当初から黙認していた措置であったとさえ考えられます。
参考までに、平成元年度vs.対平成10年度の入試状況を確認しますと、志願率は6.5ポイント(48.5%→55.0%)のアップ、進学率は11.9ポイント(36.3%→48.2%)のアップに対し、不合格率は15.0ポイント(36.2%→21.2%)の大幅ダウンとなり、特に進学率の上昇と不合格率の下降がきわめて対照的な動きとなっています。 |
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| 最後に入試の現状について若干確認しておきましょう。指摘するまでもなく、最近の大学受験・進学には伝統的な「入れる大学選び」
あるいは「学歴志向」 からの質的脱皮が顕著に現れています。一方、直近の<表3>データから分かるように、数字上での「大学全入時代の到来」
も確実となっています。平成19年度の志願率は59.3%、進学率53.7%、そして不合格率に至ってははついに10%ラインを割り9.4%にまでスパイラル的下降を見せています。 大学受験と進学は今大きな変化を見せ始め、昔日の面影は徐々に消えつつあります。 |
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